350res
🤡「お前テレビで俺のこと馬鹿にしただろ」
2019-12-10 05:39:05
ワイよりゴールド持ってるやついたらガチでちんちん晒す
2019-12-10 05:38:46
ワイアーセナル、逝く
2019-12-10 05:38:43
【定期】アーセナル逝く
2019-12-10 05:38:40
アーセナル逝く
2019-12-10 05:38:24
【浜松社長殺害】刃物傷深く強い殺意か 金銭トラブルの情報も
ニュース速報+
2019-12-10 05:38:09
【アマゾン】トランプ氏批判 業者選定で「不適切圧力」
2019-12-10 05:35:45
【音楽】チェリッシュ・松崎悦子、今年8月に胃を全摘出していた…11日のコンサートで仕事復帰
芸スポ速報+
2019-12-10 05:34:08
【マレーシア】27年ぶりにポリオ発生 生後3か月の乳児が感染
2019-12-10 05:34:03
【WTO】上級委、機能停止へ 米反対、補充折り合わず
2019-12-10 05:29:50
匈奴は勝手に漢民族が北や西からやってくるヤベー奴らを総称してそう言ってただけだからな
勿論、匈奴と一括りされてる奴らの中にも様々な集団がいた
時代が進むにつれ漢民族は拡大されてって、過去に匈奴と呼ばれてた連中も漢民族になってる
そうすると匈奴はまた別の奴らを指すことになるしな
あそこより学べるところ、世界的に見てもそうそうねーだろ
特定の民族やないんやな
前スレで戦国とか江戸の風俗史やりたいって言ってたニキおる?
酒呑むスレより10倍好きだ
そら不作になったらあかんというわけやな
比較的史料読み込みやすいから、みんな独学なん?
二・二六事件の発端にもなった地域格差や満州事変下の現地の話とかそういうの
邪馬台国について
たぶん中国の漢書、魏志倭人伝の中国文献と日本の古事記、日本書紀、各風土記等合わせて考えると
邪馬台国=のちのヤマト王権で
邪馬台国が行なってた政のヒメヒコ制が=神代の天照大神と須佐男
んで出雲中国地方、各西日本~畿内の諸勢力を服従させて東日本にも触手する段階で九州では遠過ぎるから前線地帯になりうる畿内に遷都進出
↓
これが古事記の神武東征
みんなはどう思うやろ?
昔って力仕事多いからかめっちゃ食うよな
雨にも負けずも質素な話なのに玄米4合1日で食ってるし
日本のことも東か南か分からず全部ひっくるめて倭って呼んでたからな
そんなもんやろ
ジャガイモ来る前はどうしてたんや
結構そういうの世界史で多いで
うちの近所の割烹に犯人潜伏してたっていう中学の先生の話が今も忘れられない
ほな邪馬台国九州説ってことでええんか?
かなりあり得る気がする
ワイ素人はこれやろなあって思っとるわな
邪馬台ヤマトとかまんまやしロマンある
なお
皇族が信仰してるのはアマテラスだけど親はこいつらやん
なんでアマテラスの方が信仰されてんの
戦国と江戸じゃ文字全然ちゃうからそれぞれ教書が必要やと思うで
あと、江戸の町人文化の体系本はコレ!とは言えんけど、滝口正哉って人は割と広く江戸町人文化のこと本にしてるから、入りとしては取っ付きやすいで
おもろかったら滝口さんの参考文献から次に読む本決めて…ってしてどんどん読んでくと良いと思うで
そこら編は割と社会学の範疇やないか
日本でパンツがいつ頃から履かれるようになったかとか言うのを真面目に研究したのとかあるで
地元の図書館や地元新聞社の蔵書お願いして読ませてもらってた
あとは元校長とかが大体そういうの詳しい
どっかの国をやっつけたとかどっかの支配者だったって話もおそらく意図的に書かれてないのもめちゃくちゃ気になる
麦類と乳製品
小麦があったんやけどブリカスが全部持って行ったから仕方なしにジャガイモ喰ってるときに飢饉や
東征については意見がないけどまあだいたいそうなんだろうと
邪馬台国論争で欠けてるのは河内大和が圧倒的に稲作好適地だったという地政立地の観点だと思う
その当時生産力高い所はやっぱ人も金も集まるよ
ワイはそう思うわ
あれも調べるとかなり面白い
君最近見かけるわ
手塚治虫はそう考えてた節があるよなw
戦後米軍が駐留して砲撃の訓練で村の上を砲弾が飛んだのにブチ切れた村人が着弾跡に座り込んだとか聞いてクッソわくわくした
明治からじゃなかったか
近代化を図るために性に関することは制限されるようになったんだはず
間違ってたらすまん
昔見た説では卑弥呼の側近が卑弥呼の死後に邪馬台国を統治してヤマト作ったってあったな
ありがとう
参考にします
ありがとうついでにさらにお聞きしますが、地方の町人文化や祭りとなるとどのような本や人の研究を読めばよいでしょうか
そもそも天皇ってスサノオの子孫ってことになってるはずだからそのきょうだいのアマテラスを信仰するのも不思議な話や
そういやツクヨミはあんま名前聞かんな
ちな素人
後付けだからやろなあ
大量に栽培でけへんちゃう?
ジャガイモ食うようになって人口増えたんやろか?
国譲りはどう説明すんの
アマテラスのスサノオの関係
まあワイも厳密には邪馬台国はヤマト王権になる前身であってそのままヤマト王権に移行したわけやないと思うわ
唐までは分かるけどそっから何しにきたんやろ
社会学なのか、参考にするわ
教育学や近代史かと思ってた
>>31
確かに校長は詳しいな。地元の生き字引みたいな人が昔は多かった
天孫降臨の地は南九州じゃない説もけっこうある
戦国期の古文書読むのにくずし字独学である程度は読めるようになったけどそれでも難しいわ
素直に釈文読んでる方が楽やね
ワイは邪馬台国=九州説を支持
詳細は長くなるけど倭人伝のみに頼るだけでは答えなんか出んのと
考古学的に大陸との交易構造が九州から山陰にあった
この交易構造が畿内主導になった時点がヤマト王権の誕生
その地域や祭りによるとしか言えん、すまんな
日本中の地域文化や祭りの概観をさらってやってる人っておらんのや
国譲りは出雲のか?
皇帝から譲られたんちゃう
その時代の巨大遺跡が出た纏向でほぼ確定なんじゃないかな
その他地方から運ばれてきた土器も出てるし少なくとも纏向がかなり広範囲の勢力中心だった点はゆるぎないと思う
あれは戦場は女人禁制で下の処理するためにショタ連れ込んでたとか
戦国時代の話だが実際遡ればもっと昔
自費出版で郷土本出してる爺さんとか案外おるで
ローカルな図書館とか大学に眠ったりしてるから探してみるんやで
物流が人の足しかなかった時代本土の物や人の交流ってどれくらい進んでたの?
民話とは違うが鉄道忌避伝説とか好きなヤツおらんか
戦国のを読めるのは凄いわ
字の統一が不完全だからひどいクセ字とか漢字が地域によって違うとか、読めへんとこばっかりや
神武天皇の日向もそうなんやろ?
ようわからん
日本中に勢力は多数あったと思うわ
それこそ戦国時代のように
それが倭国大乱であって
スサノオの子孫がアマテラスに国譲るってどう考えても身内じゃないよな
漢織、呉織パターンがあるんちゃうか
船はあるで
縄文弥生期に伊豆七の黒曜石大量に本州に持ち込むくらいやし
マンションの基礎工事やって地面掘ってたら
古い遺物はしょっちゅう出てくる
しかし調査入ると工事出来なくなるから
黙って埋めてしまうのがほとんど
冒険心が強かったとかなんかの技術に秀でてて雇われたとか考えるとたまらん
東京大学の遺伝子研究チームが九州人の43/44は渡来系朝鮮人と解明
https://www.DNA.com/sp/articles/ASM7J6TNBM7JULBJ01M.html
九州人、特に福岡、佐賀、長崎は先祖に多大な朝鮮人の血が混じっている事が多く、
現在でも近い身内に朝鮮人の血が混じっている人が多いそうです。
DNAを調べると日本古来のDNAとかけ離れていて、朝鮮系DNAに近いとのデータもあるようです。
そんなのが関係しているのか、九州では、特に福岡県などでは暴力団の抗争が絶えませんよね?
抗争といっても、テロ組織的な過剰で突撃的な抗争の仕方で日本中を震撼してますよね。
まさしく、これも朝鮮人の血筋も関係しているとネットでは騒がれていますね。
※朝鮮人の血と書きましたが、中国人の血も多い場合もありうる。
また、Google検索(グーグル)で、[九州]って検索すると、
[九州~~]と以下の検索予測ワードなどが沢山出てきます。
「九州人 特徴」、「九州人 性格」、「九州男児 特徴」、
「九州男児 性格」、「九州人 性格悪い」、「九州人 嫌い」、「九州人気質」
このような予測ワードが出てくるのは、全国的に見て九州だけです
・以上のように嫌われ者の九州人ですが、後世の人が不快なく生きていくにはどうすればいいと思いますか?
https://i.imgur.com/ZDOilxS.png
https://i.imgur.com/rRNBLFG.jpg
男色文化ってお寺発祥とかあるからね
話は変わるが当時のお寺は今でいうオンラインサロンみたいなところだった
日本にいるのに、チャイ語で話すのがデフォな向きとか
お前らには分からない高尚な場所なのよここはって感じ
要は今も昔も変わらない
長野の近くじゃないの??
垂仁朝(纏向北方の古墳群の埋葬者)で出雲の末裔の神託がなんたらと出てくるからその前ってことにはなるけど
出雲の時代と邪馬台国の時代とどっちが先なのか
九州やろね
朝貢貿易の褒美みたいやな
たぶん奈良末期から平安初期のイメージが覆るで
あの漫画の参考文献はマジキチすぎてヤバい
もっと色んな国の情報あっていいよな
初めてきいたわ なんか新書が出てるみたいだな
もったいないな
現場に研究家置いて工事した方がええわ
建築業者からしたらむちゃくちゃ効率悪そうだけど
仮名文はほとんど読めない
秀吉の文書一時期読んでて秀吉自筆の書状ってかなり現存してるからチャレンジしたけど無理やった
秀吉自筆の書状で現存してるのはほぼ仮名文なんや
https://i.imgur.com/3Oe0yNu.jpg
言うてそこら辺は中国朝鮮半島勢がトレンドやないか?
勢力は当然全国にあるけど九州の中心として記載されてる伊都ですら纏向規模の宮殿が出土しないから
全国津々浦々に纏向規模のものがあったとは思えない
薩長土肥の藩閥の系統が現代の日本の支配構造にどう関わってきたのか知りたい
まあ無理だろうけど
九州発祥だとしてそれが直線的にヤマトになったかは判らんな
記紀自体がいろんなとこの神話の寄せ集めみたいなところあるし九州あたりの神話を地名そのまま入れたんやないか
酋長が空から降りてきたみたいな神話も南方に多いらしいし
そこは実際はたぶんこじつけやろ
ヤマトが出雲を支配、服従させるたる所以
長子の子孫が正統で弟の子孫はいわゆる分家
というふうにこじつけたんやろ
なんか昔読んだちょっと胡散臭い系の本に
国譲りの話=スサノオアマテラス姉弟
は侵略の正当性の主張に過ぎないとか書かれてたわ
なるほどなとは思った
京都駅の立地の話とか?
マジレスするとその辺はまともな資料がないから
学者がどうにかこねくり回してそれっぽい事言っとるだけや ヤマトと邪馬台国に関わりがあるかどうかなんて現状確定しとらん
前スレあるの?
明治のお雇い外国人やな
ていうか中国や朝鮮半島勢を除いたら今のところこの人とヤンヨーステン ウィリアムアダムスしかおらんのか
はーそういう考えもあるか
取り込みの一環なら納得やね
にしても空から降りてくる系は世界共通よな
その勢力現存してるから障害多すぎんじゃね
電波行政とかに現存してる
国から市町村レベルまで規模狭めるとざっくりどんなこと起きてるん?
国全体じゃデモクラシー!不況!戦争!って感じだけど
重ねてありがとうございます
当方、地元郷土史(北陸越前・加賀の方です)に興味はあるのですが、さらに深く探求したいと思っており、ここからさらに学ぶためには、一次資料に手を伸ばさないといけないと思っており、
こういうのを学ぶためにはどうすればよいか五里霧中でございます
何か学び方をご教示いただければ幸いに思います
全然読めんくて草
江戸時代辺りから字が統一され始めるから江戸の土地台帳とか出納帳はちょっとは読めたけど、戦国のはやっぱり読む気にならんな 原典読むとか無理や
卑弥呼の遺体か鏡?
まあ同定どうすんねんて話やけど
白村江前後の朝鮮半島と大和政権の繋がりとかめちゃくちゃ面白うだけど政治的バイアスかかり過ぎてまともに語れないと言う
一生真実は明らかに出来んやろうな
まあ言いたいことはわかるけど歴史は必ずしも最大勢力が勝つとは限らないし
だからワイは当時日本中で畿内の勢力が一番強大な勢力であったとしてもだから=のちのヤマト王権になったとは思えないんだよな
郷土史とか伝承を自治体がまとめた本多分あるから探してみるとええで
出典とかソースの人物とか色々書いてある
ヤマタイ説とヤマト説
どっちも存在する。
伊舎那天で検索ゥー!
天皇家と遺伝子鑑定やろなあ
サンクスやで
そういう人とも交流あるで
ただ、高齢でクセが強いんじゃ
もっと若い人らとそういうことを語り合いたい
そういう意味でここは良いところ
ネトウヨいなさそうやからまともな情報聞けそう
幕末の時の天皇は伊藤博文に暗殺されたって噂が町衆に流れてたみたいだな
ちなみに安重根はそこそこの地位の家の生まれでやってたことはただの893
戦中の軍需で一儲けしたやつらが大体8の系譜やな
邪馬台国、政体は原始的いうか呪術的なのに、市場とか税制はしっかりしててそこは魏の使者も注目して書いとるよね
多分、渡来人集団がヒミコというミコシをかついでいたのが現実なんじゃないかな。
じゃないと通訳とかも大変だろうし
台の字が壱のヒが豆になってたり、それは単に誤字じゃね説もあったり確定できない(揉める)から「台」と仮置きしてるけど
現在ヤマトと発音してる地名に漢字をあてたと考えるのが普通じゃないかな
九州は西新町遺跡、今山今宿遺跡群、三雲遺跡群、吉野ヶ里遺跡
山陰は古志本郷遺跡、山持遺跡、青森谷上寺地遺跡
ここが大陸や半島との交易構造の基点やねん
で、その後ろに畿内の纏向遺跡がある
ところが4世紀には高句麗の南下から楽浪、帯方郡が滅亡して
同時に西新町も纏向も衰退しとる
つまり交易構造がここで終わったんやな
そのあとにヤマト王権が誕生わけやから
九州、山陰を基点に東アジアと交易構造を構築したんが邪馬台国
白村江の後に2000人か20000人の中国人が大宰府に駐留したのは日本書紀に書いてあるらしい
外交で贈った土器とか出てきたら決め手になるんやないの
成分分析すればどこの土を材料にしたか絞り込めんかね
趣味が沼巡りのやつがスレ立ててそこから郷土史に詳しいのがぞろぞろ出てきた
ワイは満州帰りのひい爺さんの話が一番興味深かったわ
みんな先ずは自分の親戚筋に話聞くのが一番ええかも
でも各時代に連綿と古墳が作られててそれなりの繋がりが見えるしな
実際の血統(王統)=王朝の繋がりと狭く定義されたら話は別だが
わざわざ何しにきたんやそいつら
勢いに乗って征服しに来たんか
アヤハクレハを連れて帰ったアチノオミとか、坂上田村麻呂の父親の時に後漢霊帝の末裔と称したわけで
渡来人はもう謎だらけよ
この文書の釈文や
仮名文は翻刻しても読みにくいんやけどな
かへすかへす、久しく御おとつれなく候まゝ心もとなく候て申まいらせ候、ねん五ろ(懇)ニ返事まち申候、
こなたハさいさい雨ふり候てミちわるく候、てき八しゆう(州)ニもち申しろ五つなてハこれなく、
はやしろしろ百はかりとり申候、五つのしろも大たわら(小田原)はしめてしろをわたし可申間、
いのちをたすけ候へと申候へとも、なかなかとりつき候物もくせ事のよし申つけ候間、たれたれもけよう(許容)不申候、いよいよめてたきさう(左右)可申候、
このあひたハ文にても申うけ給候ハす候、御ゆかしく候まゝ申まいらせ候、
そなたより久しく御おとつれ(訪)なく候まゝ御心もとなくおもひまいらせ候て、わさとふてをそめ申候、
又申候、大まんところ殿・そもし・わかきミ・おひめ・きん五(金吾)・そくさいに候や、大さか殿も久しく
まんところ殿 てんか
ほんの1400年前に人口も今よりずっと少ない時代にそんだけ大量に流入したらハプログループで大分わかりそうなもんやけどな
ちょっと調べてみるわ
アイルランドの人口が急に増えたのは18世紀半ば~終わりぐらいからやな
これはヨーロッパ全体の人口の増えかたと比べるとかなり早い
アイルランドはそのあとジャガイモ飢饉から20世紀前半まで人口減り続けるわけだが
新羅の都護府から来た人たちだったらしい
あの当時の唐ならロマンで九州に大群送るのもありそうじゃない?
郷土史研究をそんな体系化されてるものと考えん方がええと思うで
知りたい地域の○○市史とか○○町史読んで、でっかい祭りとか歴史ある行事が近くにあれば必ず誰かがそれに関して本や論文書いてるからそれ読むところからかな
行動力すごい
偉い
初期~中期のヤマト王権は複数の部族から大王出し合ってた説あるよな
大海人皇子渡来人王族説とかあるしあーもうめちゃくちゃだよ
求めるもんとは違うやろけど
加賀なら藤原利仁がオススメ
藤原魚名流は利仁に由緒を求めとったのに、ある時代から藤原秀郷に由緒を求めだしてん
だから秀郷の伝説は元々は利仁のもんとして語られてた
で、古い利仁の伝説は加賀によーさん残されとる
それ献上ってどういうことなん
当時の邪馬台国は縄文人だったので言葉を持たない奴らだった
ヤマ タイコク
と説明してたのでそれに宛てた字が邪馬台国
なので邪馬台国はヤマにあるタイコク
キリスト教の修道院も同じよな
中国の史書に描かれてる宮都がヤマト国の纏向近辺の古墳群を伴った遺跡一帯だということ
郷土史ということは一次史料は風土記あたりになるのでしょうか?
日本惣国風土記と合わせて北越風土記節解を読まれるといいかと思います
ほーありがとうありがとう
歴史学が政治性帯びるってのは当然仕方ない面はあるんやけど
歴史学的に考えると仮に邪馬台国がヤマト王権になったとしても現在の天皇と直接的結びつきがあるかどうかはかなり怪しい所やし古墳さえ調べさせない宮内庁が認める訳がない
継体辺りの系譜がいくら何でも怪しすぎる あれ普通に流れ考えたら中央の王統断絶からの地方豪族が王権握るって流れやろ
ありがとうございます
郷土史や伝承に詳しいですか?
詳しいのであれば、普段どうやって学んでいるのか、休日の学習行程を教えていただけると助かります
書いてある通り、図書館などを回り、地元民話の本を読むのですか
話ずれるけど拉致被害多い北陸~新潟は半島経由でその時代に文化流入してるイメージないよな
殷もそんな感じじゃなかったかなあ
はえ~
いつか事実が分かるとええなあ
はえー
その後どうなったんやろなあ
さすがに皆殺しやろか
生き残りかも知れんのだが
そういうのを今更調べる方法ある?
筑後の一帯の平地部分は大体川の氾濫原もしくは海で
現代の我々が思うより農耕できる場所がないんよ
なるほどな
合点がいったわサンガツ
それと江戸時代のものですが菅江真澄の遊覧記は読み物としても面白いのでオススメです
古文字についてはわかりません
一から学ぶのであれば独学は難しいと思います
アホやから正直全然ついてけてへんが
所属が判ればあるいは
結構発達したんよ
ただ欧米の軍事力に対抗できるレベルじゃなかっただけで
始皇帝がそうかはともかくコーカソイドはもうとっくに中国におりそう
ヨーロッパ史も急にオランダ人がイギリス王になったりしてて混乱するわ
まず継体天皇って名前がな
今なら竹田天皇レベルの話なんじゃない?
ワイも馬鹿正直に万世一系信じてる口ではないけど
ただ、99パーセントは眉唾でも100パーセント無関係ですにならないことが大事なんやろな
ハーメルンの笛吹きの元ネタは何かっていう話が面白い
東漢氏の研究が進めば飛鳥時代の歴史観も変わるかもな
蘇我氏について時の天皇ヤったりしとるイメージがあるけど
東漢氏の本拠地って高松塚古墳とかキトラ古墳があるとこやしな
オンドルも発見されとるし事実がわかればちょっとアレな人らもおるから進まんのやが
土着宗教やらサンカやら呪術っぽい奴とか
特に山間部の閉ざされた土地系
軍人手帳を調べるか行政から申請する
ワイがやったときはこれが参考になった
https://togetter.com/li/1313963
確定しようがないのね
部隊は出身地でまとめられてたりするから手がかりに調べられるかもしれん
ジッジか所属していた連隊なんかの部隊名が分かれば
俺はそんなに真面目じゃないし歴史学習の一環くらいの力の入れ方だから参考になるかは怪しいけど、
一番手っ取り早いのは市の歴史の本や言い伝えまとめ本とから著者や関係者の名前を調べることだと思ってます
ciniiとかで大抵なにか足跡残してるし
そうそう
ワイの親父らがガキの頃は殷は発掘中で半分伝説みたいな感じで教科書に書いてあったらしいが
今じゃ夏すら歴史になりつつあるからなあ
御嶽信仰とか三山信仰とか、修験者の文化はおもろいよな
特に中国地方山間部の祭りはマジで面白い
何が面白いって未だに取材できなくて真偽不明で突撃した調査員が2人殺されてる祭りもある
それの指揮官の郭務悰は結構帰ったりまた来たりしてる
その流れでかなり帰ったかも
隣接する八丈島の人々はこの病気を「小島のバク」と呼んで恐れ、八丈島の漁師や海女は小島近くの海域で漁は行っても、病気を恐れて小島へは上陸しなかった。
その多くが畑仕事をしているときに発症し、周囲の人々に「バクが来たぞ」と大声で知らせながら急いで家に戻り、布団に潜り込んで高熱と震えが治まるまでやり過ごしたという。
熱発作は数日で自然に治まり畑仕事に戻るが、そのうちにまた激しい熱発作が起きる。
この2回目以降の熱発作症状を八丈小島では「ミツレル」と呼び、ひどい場合には、1か月の間に何度もミツレル熱発作を繰り返すため、仕事や日常生活に支障をきたす。
このような状態を年単位で繰り返していると、やがて足のリンパ節が腫れ始める。
腫れた部位はリンパ機能が低下することから傷が治りにくくなり、小さなトゲが刺さるなど、ほんのわずかの外傷による刺激で熱発作や戦慄を何度も起こし、中には人事不省に陥るケースもあったという。
↑寄生虫が原因であることを知らない当時にしてみればクソ不気味やったろうな
文明的には武力を除いては割と発達してたんじゃないか?
なんやそれ
マジでこういう研究者はどうやって生計立ててるんやろ
食扶持凌げるならこの世で最も面白い仕事やと思う
紀伊半島とか四国の山あい辺りは闇ありそうだよな
朝鮮半島は日本の故地だってなるとそれはEU4でいう開戦事由そのものだし
黄河流域は治水にからんで色んな人物が出て色んな都市と伝説があって面白いんやけど
長江流域もそういうの出てきてほしい なんか目の飛び出た顔の青銅器文化があったらしいけどな
もはやただのロマンの塊で草
そんな長期間日本に唐軍が駐留してたのか…
共和政ローマ全盛期だし
エジプトとか枯れてる頃だしアレキサンダー大王も死んでるし
そう考えると白人がその辺にいてもおかしくなさそうではある
何事も体系的なところから入るのがクセでして、どうしても教本みたいなものがあればと思っていました
北陸の郷土史、中でも江戸時代以降に興味がありますので、
そうなると越前松平家、加賀前田家あたりの個別研究本を読み込む形になるのだと思います
造園史にも興味があり、北陸ですと石川の兼六園や福井の養浩館が有名で、ここらの勉強をしたく思います
これだけの大名ですと、江戸屋敷にも庭園があったので、そちらとの比較もしたく、
江戸期の造園に詳しい方の本、江戸期の大名庭園に詳しい方の本、兼六園や養浩館について詳しい本や先生がおりましたら教えていただけると幸いです
鞍馬の龍の神事とかほんますこ
調べたらコーカソイドのゾグド人ってのが突破にいたらしい
現・纒向駅近くに東西軸上に複数棟連続して計画的に建築された大型建物群(4棟まで発見済み)は、3世紀前半のものと公式発表されている。
居館域は桜井線西側のみでも東西150m、南北100m前後の規模を持ち、大小それぞれ構造・機能を異にする複数の建物が方形の柵列に囲繞されており、重要な古道として知られる上つ道に接面している。
これに比肩するものは、弥生時代に存在しないのは勿論のこと、飛鳥時代まで見当たらない。
大型建物の傍(大型祭祀土壙SK-3001)で宗教的行事が行われた痕跡も発見された。
この建物群は、位置関係から言って三輪山及び箸中山古墳と緊密な関係が推察される。
建物廃絶の時期と箸中山古墳建設開始の時期が近いことを勘案すると、三輪山と関係の深い宗教的指導者がここに君臨し、死後に箸中山古墳に葬られたと考えるのは合理的である。
この大型建物群と箸中山古墳そして上つ道の位置関係は、トポロジー的に咸陽と驪山陵を想起させる。
箸中山古墳は、日本列島広域各地の葬制を総花的に集約した定型化古墳の嚆矢であり、初期ヤマト政権の初代王墓と考えられるが、被葬者が女性であるという伝承にも信憑性がある
乃ち、その葬制の総花的性格から初期ヤマト政権の初代王は各地の首長に「共立」され求心的に集約された権力基盤を持つ者であり、かつ女性と考えられる。その死亡時期は3世紀中葉である。
この地に、青銅鏡や武具、新たな土木技術や萌芽的馬匹文化、列島に存在しなかった植物の花粉等(金原2015)など、中国文化が急速に浸透する時期は、列島が魏晋と通交した時期と重なる。
ほぼ同時代史料である魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)の記事と上記の考古的諸事実を突合すると、箸中山古墳の被葬者は曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、ここ纒向が女王の所都である。
おもろかったわ
サンガツ
水戸の連隊に工兵として行ったことと
マカオに行ったことは確か。爺さんもマカオのどこだとは父親には話さず、
爺さんが死んだ今となっては分からずじまい。
最近マカオの当時の戦況を知ってよく帰ってこられたと思い本当に行ったのか確かめたいんだかな、、、
ちゃんとしとる
こんな時間帯なのに異様な速さで伸びるしな
ほんまおもろいわ
そういうの好きやねん
どの時代の話のこと言ってるか分からんけど
ハプスブルク家の頃??
国って括りが今よりも自立、独立してなかったのかもな
州みたいな感じ?
古墳は多いぞ
福井とか沿岸部にめちゃくちゃあるし、鏡や金属器などもよく出てくる
なんやったっけなあ、比婆山だったのは覚えとる
ちょっと今日調べてくるっつーか聞いてくるわ
蘇我氏も大元は海を渡ってきた一族なんやろなあ
北海道
本州
九州
四国
沖縄
がそれぞれ何でそう呼ばれるか知らねえだろ
伝馬制ほんま有能やな
遺骨も運ばれてたんやな
ここで話すと特定されるから言えないような話だけど、ググって出てくる話と若干真相が違うのがたまらなかった
なんやかんや昔の方がグローバルやな
しかもあの山だけ周りと比べても地学的にも極めて特殊だからな
偶然なのかなんなのか
姥捨て系の地名やら何やらは闇深いんじゃねえかな
最近ちくま文庫のハーメルンの笛吹き男買ったわ
ローマ人部隊の末裔が中国に今もおるし
ローマ人とは言わんでもアラブとかあの辺の奴らがおっても不思議やないな
歴史好きは語りたがりが多いわね
教授も自分の分野になったら講義とあんまり関係なくてもよー喋ること喋ること
あれ易姓革命に見えるんだけど
そうやと思うな
日本美術や工芸なんか専攻してる人いる?
着物とかで語り合いたい
山で修行中の尼さん達のとこに毎日おにぎりが降ってくる話
ワイのとこは隣村で倒れたことにするために夜中に捨てに行ってた
偶然から生まれた必然やと思うわ
平安京以前からあった寺社のひとつやから
ワイは渡来人の文化が現代まで引き継がれとるならロマンあるなと思っとる
なんやそれ
これは職業軍人じゃなくても、ただの召集工兵でも対応してくれるのかな?
もし対応してくれるのならば、父親に相談して挑戦してみるわ。サンクス
そこらへんまで行くと民俗学ちゃうから専門やなくてよくわからんけど、白幡洋三郎って造園文化研究しとる人の本読むとええんちゃうかな
そっから参考文献に飛ぶ方式や
太古より、知念間切の久高島には「異種の民」がいた。うまれつき性格は素直で、普通の人より賢く、よく仕事をした。暮らしむきはとても裕福で、現在、その種族は7、8名いる。彼らは皆、膝からくるぶしにかけてとても細く、かかとがない。
百済ヤマト民族説とか証拠出ても間違いなく受け入れられない逆もな
又聞きの話だけど、
モンゴロイド中国人は遊牧民族の末裔で古代中国人はイラン系人種だった説が好き
着物でいったらこの間の宮中行事の衣服なんか話題になるんちゃうか
なに?その祭、気になる
母がたの田舎が正に島根山間部、天皇家の血筋の人が治めとる地域でごっつい屋敷があって基本立ち入り禁止。地元の人らもめったに姿見る事なかったらしいわ。近年は開かれてるらしいが
伝承のある土地も色々あって鬼の舌震ってどことか。
爺さんに由来聞くと、大昔ロシアからの流民が立て篭ってたん違うか?と。
あるとしたら土偶崇拝みたいな?
足の甲は短くて足の指は長く、そのかたちは手のひらのようになって、地に立つ。
(『球陽』巻14、尚敬王31年)
長すぎる行が云々のエラーほんま原辰徳
なん文字制限かぐらい書けや
超大国にシルクロードというルートで繋がってたし不思議じゃないか
宇宙人か?
そこから妄想をふくらませると、藤原氏の先祖は百済周辺の人物何じゃないかって思えてくる
あくまで史実重視の方がいい
へえ
旧百済と同タイプの古墳なんかね??
兵籍簿は当然徴用兵にもあるで
ただ激戦地や部隊移動と再編が激しかった時期は情報が抜けてたりとか不明瞭な場合があるので注意
すまんドイツ人やった
ウィンザー朝や
しかも王じゃないし
姥捨ては闇ってか東北の一部では自発的な行為として明治まであったしな
遠野物語のデンデラ野は実体験語ってるんだし
教えてーや
古代中国人はどの辺りまでなんやろ
漢の時代は流石に違うとは思うが
文章の適当なとこで改行したらええで
気持ちわりいなそれエイリアンか?
「かかとがない」ってどういう状態か全くイメージできん
なんでそんなありえそうもない特異な事象ができあがったのか
まんさんがパンツ履くようになったのは東京のビル火災からなんやっけか
オランダ人もイギリス王になってないか?名誉革命でオランダ総督が
飯降山つべに日本昔話があったで
いがらしみきおがキャラデザしててレアやな
もしかしたら一線級の史料になる日が来るかもしれん
もう折口の話はいいよ
闇でもなんでもなくオープンだったんだよなぁ……
イッチまだおったんか
ブログブクマしたで
せやな
ただ、着物って言ったのは言葉のあやや、すまんな
根付自信ニキや浮世絵自信ニキとかいるんちゃう?
浮世絵は当時の風土が分かるのと、当然地方なんぞいけないから、まぁこんなもんやろって憶測で描いてあるのが混ざってて楽しい
エイリアンかと思ったけど近親相姦繰り返しまくって異形になったんか?そいつら
縄文時代ってクッソ長いからな
縄文文化がこれとか
弥生人VS縄文時代みたいな単純な理解も今は難しい
飯降山やろなぁ
たしかアニメ日本昔話にも採用されてる
中臣氏は鎌足以前にも出てくるで
んで当時の大豪族は大体朝鮮半島にも領地(どっちが本拠地かはわからん)を持ってる
完全にソースはワイの記憶やけど五胡十六国時代が境だった気がする
石勒っていう完全な異民族の奴隷が皇帝になるような時期
ああそれや!
なんか頭働かんわサンガツ
日本に来た西洋人がヒール部分のある靴を履いてると「かかとが無い」とされてたみたいだけど
そんなんやろかね
>>256
サンガツ!
古代のなんj民みたいな奴らが実在の人物使った妄想でニチャってると考えられなくもないような
かなり最近やな
あの辺もホンマ謎やな
逆関節みたいなのかもしれん
>>254
種族言うてるし昔からおる種族なんちゃう?
オカルト趣味やからこのスレ開いたのに…
はえ~
これは完全にわいの妄想やけど
浦島太郎説話は日本と朝鮮半島行き来してたえらい人の話じゃないかと思ってる
ほえ~そういう表現なのかかかとを木で作ってるから「かかとがない」と
数が少なすぎて
そういうのを史料批判して検討するのも歴史学や
説というか普通にシルクロードあって国際都市あったんやからいると考えるのが普通
自信は全くないけど好きではあるで
大体が流れ着いた白人(ロシア系)やと想像してる
せやな
学芸員の爺さんなんかに質問するとほんまに話が止まらんし、もちろん感謝はするんやが、その反面時々どうしたらええか分からん様にもなるわ
お主とこのスレに出会えてよかった。
個人情報の関係で当時の名簿があったとしても
閲覧できないオチだと思ってずっと諦めてんだ。
まさか当時の移動までも分かるかもしれないとは
本当に感謝する。
上小阿仁村
曾祖母から聞いた話では戦争初期にマカオに行って、病気して日本に戻り舞鶴あたりで教官らしい仕事しながら終戦を迎え東京オリンピック前後に病死したと聞いたから、どんな経歴だったのか気になってきた
浦島太郎説話の原型については全く知らんからなんとも
今勝手に考えると老荘的?桃源郷信仰の派生なんじゃないかな?と
老荘思想がいつ日本のどこに伝播したかはわからんわ多分中国系渡来民?
ロシア系は17世紀くらいから多そうやな
普通の人より裕福って面白いよな
日常生活に支障無かったんかね
天狗ユダヤとかも好き
似てる部分は日本までやってきたユダヤ人から文化吸収したんかなあ
ペルシャ人が来るなら来れるやろ
ワイもわざわざ怪しげなオカルトに結びつけたがるんあんま好きやないな
鬼は縄文人やで
明治時代~戦後までは縄文人は嫌われてる存在だったで
確かにロシア人くらいは難破して流れ着いてるやろなあ
四国の古代神社?がユダヤと似ていて当時のイスラエル大使まで見に来たっての聞いたことあるけどあれはなんなんやろな
普通に盗賊とかやないの?
ロシアから流れてきた白人とかだろうな
言語もガタイもかなり違うだろうから当時の人から恐れられる存在になりうるし
流石にその頃にはもう縄文人なんて同化してるんやないんか?
鬼とか平安時代からあるやろ伝承
浦島太郎といえば、西洋文化が入ってきた頃には、こういう絵画もあった
まさしく文化の融合
今見るとめちゃくちゃ違和感あるが
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/topics/9811/murata/murata.html
奥が深いと言うかきりがないと言うか…
どんな記録にも政治的バイアスがかかる以上、文字媒体の情報の取り扱いって難しそうやな
逆に遺跡や出土品とか当人の意図しない遺物は信用出来そう
大江山に流れ着いた海賊のイワン・シュテンドルフさんとその一味を源頼光と坂田金時が討伐したって話か
>>296
ロシアって何気にハワイやアメリカ西海岸まで行ってるし途中で難破して日本に来たんやろな
2000年の歴史上流れ着いた白人もいただろうし
平安時代はペルシャ系とかやないんか?
めちゃ遠いけど頑張ればたどり着けるやろ
白人系ロシア人がシベリア進出するのってかなりあとちゃう?
エベンギとか極北民族が極少数居ただけで
知らんが縄文人は土人みたいな扱いの文献がゴロゴロあるで
ネットでも検索できるから探してみろ
あと白人は天狗や
ユダヤ人そのものというより西方から伝わった異邦人らしき特徴を表した仮面が天狗そっくりなんはあったで
肌が赤くて目を見開いてて鼻がデカいんや
大体山の中に出るんやろ?
伊奘諾神宮とかどうよ
約1度以内のエラーの範囲で
春分秋分は伊勢神宮から日の出
夏至は諏訪大社から日の出
夏至の日の入は出雲大社
オカルトっぽいけどガチ
サンカとかなんかな
ワイは鬼と天狗どっちもって思うわ
今ある漫画とかも数百年後に真面目に歴史の資料として議論されるんかな
ドラえもんは実在したのかみたいな
ガイジかな
鬼の角と虎のパンツは風水に由来するんやで
https://i.imgur.com/jD7ilu9.jpg
大元はガルーダでしょ、日本で言えばカラス天狗
バイキングはツノつき兜被ってないぞ
あのツノつき兜はバイキングより前
四国は面白いよ
法隆寺と同じ規模で同じ作りの寺院跡とかあるのに資料とか歴史が一切残ってないから
どらえもん実在タイムトラベラーモデル説はムーであるだろな
鼻デカァイ!!
お台場のガンダム像は議論白熱するやろなあ
エッチなこと調べてくれたら神
田舎と都会の男女それぞれの初体験とか
ワイはこのツイートされた次の週から始めて
自治体とのやり取りに手間取って先月ようやく見れたとこやからほんまに半年から一年は見た方がええで
マジデ!それはすごいな四国のどこらへんよ
天狗は変わった言葉を話すが知恵を与えてくれる存在
一方鬼は未だに嫌われる存在
なぜ鬼が嫌われているか
なぜ桃太郎は好かれているか
ここら辺調べればそれこそおまえらの好きな闇が見えてくるで
佐渡の狸とか
え、それの何がオカルトなの?
四国は山に関する民間伝承が沢山あって面白いな
笑い女とか
あれは、寒さ耐えかねて暖をとってたら火傷したり赤くなったりで、そこから鬼の仕業、寧ろ赤いのは鬼やになった
秋田とか日本海側、特に沿岸部にに鬼伝説や伝承が多いのはそれ(沿岸部って特に寒いんよ)
それアイヌ人も信じてたらしくて草
でも国産みで生まれたのは2番目なのなんでなんやろね
鬼と縄文人
天狗とユダヤ人
北海道
本州
九州
四国
沖縄
のいわれ
畿内にも鬼おるやろそっちよ気になるのは
紙はもちろんネットもクソザコやしな
それも好きやし天草四郎亡命説とかも好き
真偽は別としてそんな説が作られるくらい魅力的な人物ってのも民俗史からすれば重要や
民俗学ではないのかも知らんが、城の石垣にも、当時の石工らが自分んとこのマークかなんか勝手に入れてて、今でも議論の的になるのはいい話
適当なこと言いすぎやろ
一切残ってないって具体的にどういうことや
それは偽書として?
偽書としての神代文字文献クッソ興味ある