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1 : 番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です[] 投稿日:2020/09/02(水) 23:19:06.56 ● BE:295861289-2BP(2000).net
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https://digital.asahi.com/articles/ASN876WKWN7YOIPE005.html

難病で逝った夫からのサプライズ誕生日にバラ届いたよ

榊原孫八さん。筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、2017年のクリスマスイブに64歳で帰らぬ人となった。5カ月後の妻の誕生日、これまでと同じようにバラの花束が届けられた。
2018年5月。愛知県知多市の榊原晶子さん(60)の自宅に、娘夫婦と息子夫婦、孫たちが集まって、晶子さんの誕生日を祝っていた。
「お誕生日おめでとう」と手渡されたのは、バラの花束、イチゴのケーキ、そして革製のポーチ。
なんでこんなにたくさんあるの?と驚いていたら、娘がこう言った。
「全部、お父さんからだよ。去年の7月にプレゼントするように言われて、お金を預かっていたから」
夫の孫八さんは、前年12月にALSで亡くなっていた。7月といえば話すのが難しくなり、文字盤を使って会話をし始めたころだ。
結婚してから、毎年のように誕生日にバラの花束を買ってきた孫八さん。まさか亡くなった後にも受け取ることになるなんて。
来年の誕生日は一緒に祝えないかもしれない、と考えていたのだろうか。
託した時の夫の思いや、それを今日まで抱え続けてきた娘のことを思うと、胸が押しつぶされそうだった。
セカンドオピニオン求めたが
孫八さんが体の異変に気づいたのは2014年春。
手が上げにくい、歩きにくいと感じて整形外科や接骨院に通ったが、原因はわからなかった。
半年後に大きな病院で診察を受けるとALSと診断された。セカンドオピニオンを求めても診断結果は同じだった。
調理師として働いていたが、年末で退職。翌2015年3月に初孫が誕生した時、顔を見るために病院まで車を運転したのを最後に、ハンドルも握らなくなった。
夏前になると呼吸が苦しくなり入院。症状の進行は早く、秋にはほぼ寝たきり状態になった。
晶子さんはパートを辞めて、自宅で孫八さんと過ごすことに。看護師が来てくれる時間以外は、つきっきりの生活が始まった。
「気管切開はしない」
診断された時から、いずれ判断を迫られるであろう「気管切開」について家族で話し合っていた。
ALSは体を動かすための神経細胞などが徐々に壊れ、自らの意思が伝わらず筋肉が縮み、力が入らなくなる難病。治療法は確立されていない。
発症後は自分で呼吸ができなくなり、気管切開をして人工呼吸器をつけなければ死に至る。しかし、一度つければ取り外せない。いずれ意思疎通もできなくなり、天井を見上げるだけになる可能性もある。
当初は「つけたくない」と言っていた孫八さんだったが、「世話をしてもらう環境が整うのなら、つけて生きたい」と言うようになった。
夫の気持ちを尊重したいと思っていた晶子さんは、世話をできる環境について調べ、遠方の施設に入ることも検討した。しかし、互いに別居は受け入れがたい選択で、経済的な負担も大きかった。
悩んでいる間にも病状は進行し、昨日出来たことが今日は出来ないという絶望感が重なり、孫八さんは「気管切開はしない」と再び考えを変えた。
「闘病」という言葉
2016年になると、たんの吸引が1時間に1~2回になった。2017年の春ごろには、文字盤を使ってしか会話ができなくなった。
晶子さんが、あいうえおが書かれた五十音表を指でなぞりながら、孫八さんがまばたきをしたところで文字を1字ずつ記録して文章にしていた。
リビングにベッドを置いて、晶子さんはその横に布団を敷いて寝る生活。
ちょっと離れた時に「何か起こるかもしれない」という不安から、買い物も30分以内と決め、冬でも湯船にはつからずシャワーで済ませた。
そんな中、晶子さん自身も限界を感じるようになった。「いったいこの生活がいつまで続くのか」と。
文字盤での会話も次第に成立しなくなり、意思疎通ができないことがもどかしかった。
ネットでALS患者のブログなどを調べても、書かれているのは前向きな生き方ばかりで「もう終わりにしたい」という言葉はなかった。
「闘病」という言葉を見聞きすると、「闘える病の人はいいよね」と思った。
こんな風に思っている自分は薄情なんじゃないかと責めるようになり、娘や息子、医師に対して「もうダメ」「自分が壊れる」と伝えた。
だからといって、毎日絶望して暮らしていたわけではない。
自分の涙もぬぐうことができない孫八さんが、ことあるごとに「幸せだ」と意思表示してくれるとき、たまらなくいとおしく感じた。
介護疲れを癒やすための短期入院を利用した際も、3日に1回は病院へ行き、孫八さんの顔を見ると「帰りたくない」と思った。体は楽になったけれど「そばにいたい、いてほしい」と強く思った。
クリスマスイブに
2017年12月中旬、自宅にいた孫八さんの顔が茶色とも緑色ともいえない色になっていた。
2 : ログ速名無し[] 投稿日:2020/10/24 10:06:17
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